バレエの記憶装置

先月、キーロフバレエのバランシン*1ガラを見に行った時のこと、プログラムを見ながら開演を待っていた時の話だ。バランシンの「セレナーデ」はこれで見るのも3回目くらいなのだけど、そのタイトルを見ていたら、あるメロディが脳裏に浮かんだ。スタッフサービスのCMで使っている曲だ。ああ、あれはチャイコフスキーのセレナーデだったのか、多分そうだ、と確信するまでしばらく時間がかかった。
ふだんだらしなくTVを見ている時には、どこかで聞いた曲だ、としか思っていなくて、すっかりスタッフサービスのメロディとして記憶されてしまっていたのだ。
劇場と言う場所に足を運んで、そこに身をさらした時に、深い記憶が自ずと意識に上ったということだろう。

あと昨日みたキーロフ・バレエ団の「眠りの森の美女」があんまりすばらしかったので、その話をしたい。キーロフ・バレエ団は、ロシアのサンクト・ペテルブルグに本拠を置くバレエ団だ。そのキーロフ・バレエ団がプティパが初演した形に復元した「眠れる森の美女」の公演を行ったのだ。

舞台セットから、衣装から、帝政時代のロシアで公開された形になるべく忠実に再現されたものだという。舞台作品としての構成も見事で、とてもすばらしいものだった。オーケストラもロシアから来日したもので、演奏も素晴らしいものだった。

それでも、やはり作品が成立した歴史について思いをめぐらせないわけにはいかなかった。この作品は、回顧的に見れば二つの革命に挟まれた時代の産物だ。フランス革命と、ロシア革命と。社会主義革命を控えたロシアで、絶対君主が君臨した時代のフランスの宮廷をモデルにした舞台が作られていたことになる。振付家のプティパはフランスから来た人だ。そして、ロシアの貴族達は、フランス語を日常会話に用いるような人間達だった。

オペラやバレエの歴史を紐解けば、それらがルネッサンス時代のイタリアから、フランスに流入したものだったことがわかる。バロック時代の宮廷では、豪華な装置を使ったスペクタクルが披露されていたのだ。たとえば、画集でもいいからルーベンスの絵画を見て欲しい。あそこに描かれた、空に天使達が舞い、多くの人物がダイナミックに絡み合う世界は、単なる空想の産物ではなく、当時の舞台において繰り広げられていた光景でもあるのだ。「眠れる森の美女」という作品は、宮廷から始まった様々な舞台芸術の歴史を凝縮したようなものだ。

第三幕、フランス風の宮殿と庭園を描いた背景を前にして、婚礼の祝祭が踊られたあと、王と王妃が舞台に現れて、王子と王女を祝福する。それをきっかけに装置が大掛かりに動いて、背景にはバロックの天井画のように、雲がたなびき、栄光を象徴するような光線が放射状に描かれた背景が現れる。背景画にも人物が配置され、活人画の様相を呈している。舞台の全体も静止し、ファンファーレの中、一枚の絵が完成すると同時に、幕が降りる。

舞踊は終わらない。だから、絵にして静止させてしまうほか無いのだ、と思った。

(初出「今日の注釈」/2010年3月14日改稿の上再掲)

*1:バランシンと言っても、バレエやダンスに興味の無い人には聞きなれない名前かもしれない。ロシアからアメリカに渡り、20世紀のバレエを独自に展開させた人だ。抽象バレエと言われるスタイルを確立したということになっている。