秋の一番星

最近は、秋も深まってきたということで、フォーレの音楽ばかり聞いていた。なんとなく、秋の雰囲気にマッチするような気がしている。フォーレと言って知っている人の方が少ないかもしれない。19世紀フランスの作曲家なのだ。まぁ、名前はしらなくても、シチリアーノだっけ、CMで使われたりしているから、フォーレの書いた旋律はだれもが知っているはずだ。有名な作曲家とか、有無を言わせぬ傑作とかは、あえて聞かなくてもいいや、とか思う方だった。自分だけが知っている喜びを見つけたい、というか。ま、かつては、誰もが知ってる有名なものでも、傑作の名声にじゃまされずに、自分なりの楽しみ方ができることがわからなかったというわけなのだが。
CD5枚組の室内楽全集を持っていて、順番に聞いていた。たいてい、全集を買っても、結局自分になじみの曲ばかり聴いてしまうことが多い。今回は、あえて、今までなじんでない曲を聞こうと思って、チェロソナタやなんかが収録されている盤を一週間ばかり入れっぱなしにしていた。ヘヴィー・ローテーション。

フォーレというと、先日大野一雄フォーレのレクイエムで踊っていた。レクイエムなんて、フォーレのものしかほとんど聞いたことがないから、多分、フォーレのレクイエムだろう。でも、もう5年ばかり聞いていない。大野一雄の場合、レクイエムで踊る十分な理由があるわけだが。その瞬間は、あえて無神論者でなくてもいいかも、なんて思ってみたりする。ポップスやタンゴで踊るよりも、宗教曲やオルガン曲なんかで踊っている所を見るのがすきだ。

昨日、近くのレンタルCD屋でシングルCDを一枚10円で売っていたので、何枚か買い込んだ。EPOの97年のシングルをかけようとしたら、中身がベスト盤と入れ替わっていた。80年代前半頃のもの。僕にとっては、何となく聞いたことのあるヒット曲も入っている。EPOって、わりと「前衛的」なヴォイスパフォーマンスとかもしていて、面白い人だ。80年代独特のアレンジと、発声法が今聞くと興味深い。80年代歌謡論を書いてみたくなった。

漫画家で言うと、さそうあきらとか、ちょっとメジャーになりきれず、しかしカルト的人気も呼ばない、職人的うまさを持ちつつ、職人に徹する事もない、というような人を偏愛してしまう傾向がある。
日本の映画監督で言うと、成瀬巳喜男が一番好きだったりする。

今日は、浅田彰が東大でウィリアム・フォーサイスの話をしたので聞きに行ってきた。考えてみると、生で浅田彰の話を聞いたりしたのは初めてだ。劇場で見かけたりすることは何度もあったけど。
やっぱり、整理するのがうまい人なんだよな。それで、単純に図式化してしまうのも問題がありますが、とか言いつつ、綺麗に図式化を押し進めて行くのであった。バランシンがアメリカに呼ばれたあたりのいきさつの話をMoMAとかアメリカの文化戦略なんかとからめてうまくまとめたり、ラバンの身体運動の分析とテーラーの工場管理システムとの同時代性をさらっと指摘したり、それをロシアの動きと結びつけたり、普通の人なら1時間かけて話したくなるようなことを、5分で言ってしまったるするのがとても上手い。

昨日は、チケット買うだけで5万円使ってしまった。
借金を当てにして借金を重ねる、乱脈経営状態。

(初出「虹の錯視 第二」/2010年3月15日改稿の上再掲)