振付の現在 フリーパスチケット 2万5千円

8月初旬に開かれた横断的ダンス企画「振付の現在」に参加したのはアヴィニヨンから帰ってすぐのことだった。シンポジウムや研究発表、ワークショップ、公演などなど、連日さまざまな催しが目白押しだった。はじめは、見られる限り全てに参加しようと思っていたが、さすがに疲れて、後半は公演だけ見ていた。

シンポジウムは、会期中に二回開かれた。「バレエの21世紀」では、日本のバレエの将来を模索。苦境にあらがいつつ創作する振付家の話を聞く事ができたのは幸いだった。地方に巡業すると、現代風のものはウケず、いかにもな古典バレエを売りにするほか無いそうだ。
「ダンスという現在」では、コンテンポラリー系の若手振付家と批評家達が議論していた。映像作品をダンスの舞台で使う意義などが話題になる。レニバッソの北村さんや発条トの白井氏に川崎徹が食い下がり、映像と共に踊る時、ダンサーにとって映像の効果がどんなものか質問していた。未開拓の問題がこのあたりに有りそうだ。

研究発表では、コンピューターでダンスを記録する試みなどが興味深かった。モーションキャプチャー伝統芸能の踊りを保存する活動も行われているそうだ。CGで再現されたダンスについてどう考えるべきなのか、疑問が残る。

南北アメリカのダンスの現状を紹介するパネルディスカッションも見る。アルゼンチンの現代ダンスなんて全く知らなかったので興味深かった。色々なビデオも見ることができた。合衆国では、民族のルーツやコミュニティに根ざした作品づくりが盛んだということ。舞台芸術の条件を考える上で重要な観点だ。

ワークショップは、二日の間に5本受ける。ダンスをめぐるさまざまな発想を味見的に体験してみるといったところ。ダンスカンパニーの普段のトレーニングをやってみるというものから、遊びのなかから体をほぐし、イマジネーションを膨らませ、グループで動きを作っていくものや、動きのヒントをつかんでそれを発展させる振付の仕方を探るものなどなど。
世界の講師と触れ合うことができたのは良い経験だったが、受講した人々の幅広さにも驚く。ニューヨークでダンス教育を学ぶ人や、大阪から駆けつけた身体に関心をもつ人や、アフリカのNGOで活躍する人や。

公演は、世界的に著名なダンサー・振付家のソロ作品を集めた企画と、日本、オーストラリア、イスラエル、香港から新進グループを集めた企画とがあった。大野一雄の舞台に今回初めて深く感動する。幸せな一時だった。

連日4本も5本も見ていたので、それぞれの印象が埋もれてしまった。ヘレン・ハーバートソンの作品など、見た直後は印象深かったのに、Web上で誉めている人の文章を読んでも思い出せなかったほどだ。断片的な場面が、夢想のように切れ切れに展開するものだったので、印象が思い出の底に安らって浮かんでこないのも、作品の力かもしれない。
逆に印象が強く持続したのはヨシ・ユングマンの作品。パーカッションとダンスのデュオなのだが、ユーモラスで生き生きとしたもの。快活で開放的、陽性のダンスだ。無邪気に遊んでいるままのようでもあるのだが、緻密な計算があることは間違いない。巧まざる巧みというべきか。
香港勢の作品をみていると、香港はいかにも都会だと思えてくる。マスメディアをシニカルに批判したものや、CG・ダンスミュージックを駆使したものや。

伊藤キムに関わる「発条ト」、岡本真理子の二組は、どちらも単にダンス作品であるだけでなく舞台作品として練り上げられていることに注目させられる。伊藤キムが主婦の合唱・音声パフォーマンスグループの舞台を演出した作品を見たことがある。ビデオモニター4台と、身体的パフォーマンスも含みこんだもの。振付家であるのみならず「舞台作家」でもある実力を遺憾なく発揮していた。伊藤キムの下で活動することで、二人とも学ぶものがあったのかもしれない。

岡本真理子作品に感しては、もっと踊って欲しかったという声もあったようだ。しかし、舞台で使われた映像の、デジタルカメラの醒めた質感と、突き放して遠景に身体を捉えた構図は、身体との距離感、疎隔感を示していて、その感覚こそがダンスの基調を成していたようでもあった。

発条トの作品は、創作過程に基づいた関連企画のワークショップを受けた後だったので、かえって作品の不徹底さが見えてきた。ビデオをコラージュ的に編集する効果を身体に当てはめてみるという試みだったと言うことだが、恣意的な部分や遊びが多すぎて、かえって作品のコンセプトを不分明にしていたようだ。無機的な反復から、予期しない感情が見出されるような効果が探求されたという。むしろ、禁欲的に要素を削ぎ落とし緻密な構成を細部にまで徹底した方が、身体の動きの避けられないニュアンスや、意味や感情を読み込んでしまう身体認知の構造が明確に浮かび上がったかもしれない。

ところで、今回の企画で僕の関心が最も引き付けられたのは、初日のショーケースで自らダンスを披露し、シンポジウムではパネラーの認識不足をすかさず訂正し、劇場では世界のダンス関係者に快活に笑顔を振りまいていた実行委員長、若松美黄氏の存在だ。
戦後のモダンダンスの正統を成してきた現代舞踊協会の人々と、80年代以降ヨーロッパで興隆したいわゆるコンテンポラリー・ダンスの動向に影響された最近の若手との間には深い断絶がある。それは、日本のダンスの現状を規定する条件そのものだ。そこにダンスの土壌を不毛なものにしかねない状況があると思う。

日本のモダンダンスの歴史を背負ったであろう若松氏が、未熟な所が無くはない最近の日本のコンテンポラリー系のグループに注目しているらしいことには興味を引かれる。若松氏がどこまで采配を振ったのかは別として、実行委員長に大胆で斬新な試みをする若手への一定の理解がなければ、静岡の振付コンテストで予選落ちしたニブロールがこちらでは抜擢される、というようなねじれ現象は起きなかっただろう。

いずれにせよ「振付の現在」という企画は、ダンスの創作と鑑賞をめぐる状況を、多少なりとも風通しの良いものとする効果を持っていたのではないだろうか。過去の経験から結実したものと、常に顔を出す新しい芽とを結びつけるような企画をこそ歓迎したい。

(初出「今日の注釈」/2010年3月14日改稿の上再掲)