世界を織り込んでゆく線条をほんの少しなぞること -前沢知子の個展をみる-

全く独創的で、コンセプチュアルな作品を造りつづけている前沢さんから個展の案内が届いたので見に行った。2000年の5月に開催されていたもので、会場は恵比寿の「MASATAKA HAYAKAWA GALLERY」である。
今回の作品は、辞書とあらゆるジャンルの書物、冊子にある言葉にマーカーで印をつけただけのもの。ギャラリーの相対する壁に白い木の棚が設置されていて、辞書と「資料」が対面している。オープニングパーティーの日時を指定しながら、作者が姿を見せないというのも、それが意図的であったかは別にしても、作品の在り方にふさわしく挑発的だ。

ギャラリー関係者の説明によると、この作品は、広辞苑から学習辞典まで、大小4種類の辞書の単語を引いて、その説明文にある別の単語の意味を更に調べてゆく、という過程と、そのような単語の連鎖の果てに、気にかかった言葉について、様々な書物のなかに対応した語を探す、という手続きによって構成されたものであるということだ。「恵比寿」という言葉が検索の起点となっていたということ。おそらく、説明を受けなければ、よほど推理力がない限りこの構成原理は見出せないだろう。逆に、最初に説明を受けてしまうと、楽しみが半減すると言えるかもしれない。もちろん、芸術作品において重要なのは、心理的効果ではない。作品を「鑑賞」する意義は、そのような説明を受けるかどうかとは関わりがないことだ。

前沢さんは、以前ギャラリーの壁や野外の事物にあるひび割れや小穴に糸を詰めるという作品制作を行っていた。何もないと思われたギャラリーの壁に、さりげなく、ほつれたような糸が顔をのぞかせていたり、野外での制作を収めた写真が展示されたりする。それは、知覚を逃れる何かを、そっと顕在化させるような営みだった。
私は最近の前沢さんの作品を全て見ているというわけではないが、前回のガレリアラセンの企画展では、作品の不在を作品として提示する、という、作品の概念を極限まで突き詰めるような制作に至っていた。これはラセンで展示した10人近くの若手作家の作品を狭いギャラリーに展示するという回顧企画だったから許された冒険だったかもしれない。しかし、今更ながら純粋にコンセプチュアルな「制作」をするだけの必要性、必然性が、彼女を突き動かしていたことは確かなのだろう。

そして、今回の作品である。作品を構成する「資料」として提示されたのは、知覚について論じたギブソンの書物から、電話帳、地図、そして絵本までにわたる、あらゆるジャンルの印刷物である。それぞれに付箋が付けられていて、そのページの言葉にマーカーが付けられている。それが書物のジャンルにふさわしいと思われる言葉であるとは限らない。しかしその語は、辞書の一項目から、任意に選ばれた単語と対応している。辞書の項目におさめられた言葉と、野放図に広がった印刷物の上にある言葉は、この作品では同じ色でマークされ、観客には同じ語として認知される。この対応関係が作品の全てである。それは、様々な仕方で露頭している言葉の秩序や振る舞いの有り様を、少しなぞってみるということでしかない。
語の選択に恣意的なものがあるとしても、語が探された書物はあらゆる領域をカバーするように慎重に選択されており、意味作用に対する作家の計算が細部にまで働いていることが感じられる。そのように選ばれた言葉は、本来すでに尽きせぬ多様な連関を持っているものであり、時に読み解かれ、時に誤解を誘い、あるいは見過ごされるだけのものだ。そこに一つの閉じた連関を捏造するところに、物質的な次元でのまぎれもない創作がある。このような制作努力にはある種の喜びがあったかもしれないが、徒労に近い手作業であるとも言える。物質的次元の作業を純化することで、精神のあり方にいくばくか介入しようとしている点では、この作品のあり方は古典的な芸術作品と同じであると言う事もできる。

世界にひっかき傷を印づけるよりもささやかな仕方で、知覚されそうもないものに触れるということは、しかし、世界をまるごと、あるいはありのままに、捉えようとする果たされない野心を示してさえいる、と言うよりも、世界と関わる仕方を懸命に作り上げようとしている、 と言うのも浅はかかもしれず、実は、コンセプチュアルな作品が観客を挑発し、芸術という営みに巻き込まれるという事態について再考を促すような余地が、実際のところどれほど残されているのかを、計測しようとしている、と言うだけでは欺瞞的であり、作品には値段がつけられていて購入の仕方まで細かく指定されている。作家が、(きわめて正当にも)作品を売ること以上に才能を売り込もうとしていることは、もっとも明白なことの一つだ。それとは別の所で、通常のギャラリーでの展示と同様に見るだけなら無料であり、鑑賞用の椅子も用意されてはいるが、しかし申し出ないと椅子を出してくれないというような仕方で、前沢さんは観客を、試すように迎え入れている。

(初出「plank blank」/2010年3月12日再掲)