古典化と新鮮さの作業/『次の衝突』覚書+

神村恵ソロ公演ということで見た(初日1回目の公演)。素晴らしいダンスだった。
Works – 神村恵 公式サイト

神村さんが公演でこんなに踊るのを見たのは初めてだという気がする。

たいていのダンス公演というのは、緊張感とか新鮮さが感じられるのが公演のほんのひと時だったりするものだけど、この上演に関しては、集中力に欠ける自分のような観客が見ていてもおよそ8割以上の動きについて常に新鮮さを感じられるといった風で、実にいいものを見たなと思う。終演後の拍手も熱のこもった強いものだった。

古びた扇風機に向かって、四方を足先で探るようなステップで近づいて行って、不意に扇風機を突き飛ばす場面の鮮烈さが忘れられない。まるで事故が起きているというか、不意の衝動が小規模な嵐のように突発したかのようだというか。そういう、作為を廃し続けた後に訪れるような動き。

そして、おそらく、その扇風機への一撃が、ドラマではなく、ダンスとして見えたということが重要なことだったように思う。何故そう見えたのかということについては、慎重な検討が必要だろうが、とりあえずそう断言しておく。

あるいは、よろけるような足取りでバランスを崩す瀬戸際でステップを運んでいく。そうした脚の軽やかな運動に目を奪われていることが多くて、グレーのやわらかくしなやかでひざ下くらいまでの長めのスカートの動きも素敵だった。ダンスの悦楽に満ちている。自分が無心に踊っていられたとき、空間に軌道が伸びて描かれていくような快楽を感じたことがあったなと思い出していた。すべてが、ひたすら運動の質として空間を滑走していく。それこそダンスの悦楽というものだろう。

私は、スカートで踊る人の姿が好きだ。スカートがゆれることが体の運動とひとつになって区別できない、それは実にダンス的な魅力であるように思う。

後半あたりで、バレエの型をなぞりながら、しかしそれを内側からたわませてゆがめ震わせながらも、しかし、バレエの型として成り立たせている、ということをしている場面があって、これも素晴らしいパフォーマンスだった。

この新鮮さは、厳格な方法意識と技術の蓄積と修練に裏打ちされて初めて確かなものとして輪郭を鮮明に浮かび上がらせるような何かなのだろう。それはつまり、その技術をダンスの提示が成り立つ前提にしないこと、技術を拠り所にせず、技術を方法として活用すること、そういった厳しさが課せられ貫かれているということなのだろう。
それはいわば、経験の古典化を遂行しながら、古典的であることに安住しないということが同時に先鋭に志向されているというようなことだ。
どんな壮麗な建築も、放置されるなら廃墟となり、どんな彫刻も、放り出されていれば埃をかぶり、古びていく。古典的なものが新鮮であるときには、掃除をしたり埃を払ったり、ともかくそれを生きたものにするための作業が重ねられているということだろう。そんな比喩もナンセンスかもしれないが、古典的でありながら、同時に新鮮でありうるために、必要な作業の積み重ねが確実に成果をあげた公演だったということなのだろう。そう思った。

おそらく、神村さんのダンスについて、自分が見逃しているものや忘れてしまっているニュアンスもたくさんある気がするけれど、まあ、それはそれでいい。あの際立った輪郭の感触だけ確かなものとして覚えておけばそれで十分だ。

照明は、「人間ラジオ」の公演にも参加していた中山奈美さん。照明もクリアで素晴らしかった。

そして、岸井大輔さんも出演していたけど、岸井さんが出るパートは、岸井さんのパフォーマンスとしてはとても集中度の高いもので、岸井さんが曳舟でやっているロビーのテンションとか、上手く行っているがためにひしひしと感じている危機感みたいなものの話はなかなか聞かせるものではあった。

ただ、神村さんとのコラボレーションと考えたときには、岸井さんの行った介入が神村さんが広げたものに何かを加えたということは無かったようだし、それは岸井さん自身が「うまくいっているとやることはないですね」と言っていたことからも明らかだったのだろう。

少なくとも神村さんと同じステージに立つことはできていたのだろうし、演劇の人でそれができる人も少ないのだろうから岸井さんは岸井さんで、ぎりぎりのところをすり抜けて舞台に進み出たということなのかもしれない。

路上に立つような風貌でギャラリー空間に立っていた岸井さんの立ち方についてはあれこれ考える余地があるのかもしれない。客席と舞台の関係がすこし対話的な空気によって変容した気がしないでもないけど、ホワイトキューブは揺るがなかっただろう。

おそらく、この日の上演においては、ダンスとドラマという近いようで決定的に違う何かが、作家同士がある種の問題意識を共有しながらも、接近しながらただただすれ違うだけだった、ということだったのではないかと思う。

最後にライブ映像が壁に映されていたけど、神村さん自身が照明器具を壁にとりつけたりとか、そのあたりの流れは、何かもっともらしい終わりを回避するための模索というのか、ある種のトラップのようなものなのかなという風に思って、いまいちよくわからないままにスルーさせられてしまった感じ*1

今回の公演を見ていて、かつて武藤大祐さんがまだそれほど注目されていなかった神村さんを激賞していたころのことを思い出した。それは、きっと、若気の至り的なところも多分にあるような、思い入れたっぷりで勇み足的な評価ではあったのだろうけど、しかし、そんな乱暴でもある全面的な支持が無かったら、神村さんはこういう風にこの輝かしいステージに立つことになっていなかったのかもしれない。いや、それも私の思い込みかもしれないけど。

そんなことを考えていると、世紀のかわりめのころ、才能の片鱗をみせながら、そのあとあまり名前を聞かなくなってしまったあれこれのダンサー・振付家たちのことが思い出された。あのころあった可能性の多くは、もっと別の仕方において、今、ステージに開花し得ていたかもしれない。

神村さんが達成したレベルに匹敵するようなダンス公演は、もっともっとたくさん東京において実現され得た、そのポテンシャルはあったはずで、それが実現されないままになってしまったことを考えると、そのある種の退潮をおしとどめられなかったのが悔しいような気持ちになった。自分もまた無力だった。

いや、舞台を開いたり、稽古場を開いたり、公演を企画したりという仕方で、世界の様々な人が、世界の様々な場所で、可能性を押し広げる力をふるってきたのだろう。あるいは、チケットを買い、舞台の前まで足を運ぶという仕方で、力がふるわれてきた。その結果として、この上演もあった。

自分が無力であるなどと感傷にひたるのもお門違いで、そんな風に思うことこそ逆に不遜なのかもしれないけれど、この悔しさのことを忘れるべきではないのだろう。そして、力の蓄え方、力の揮い方を、少しでも磨いておくべきなのだろう。

(追記)後日岸井さんから、二日目一回目(通算2回目)の公演は酔い良い*2出来で、作品として成り立っていたと伺ったので、それも含めてギャラリーを使った舞台空間について注記を加えた。(10月21日)

*1:この公演は、現代美術製作所の横長のギャラリー空間のひとすみを斜めに客席を並べて区切って舞台として見せるというものだったのだが、そのかたすみの両脇の壁にLED照明装置が壁に並べて設置されていたりする。おそらく、ダンス公演として見えていたものが、ギャラリーの中での観客の存在も含めたインスタレーションのようなものに変容して見えるということが起これば、ラストのシークエンスも作品として成立したということになるのだろう。そういう効果は、私が見た公演では起きなかった。この点については、私が見た回では、パフォーマンスの質がある域に達しなかったため、岸井さんの出番以降が作品として成立しなかったということなのらしい。岸井さん自身は、自分の演劇手法が客席とのコミュニケーションで成り立っているものなのに、神村さんからは、それを自分自身の中でのコミュニケーションとして成り立っていると誤解されていたために、作品全体として岸井さんのパートの意味合いが変わってしまい、客席との関係において全く質が変わってしまうことになったのが問題だったといった趣旨のことを私的な会話で伺った。その点は、あれこれ考える余地がある。

*2:誤変換だったけど、酔いという感じもニュアンスとして響いていい風な気もする語りぶりだったので、抹消線を付して残しておく