終わらない夏が終わる前に/終わらない「エンドレスエイト」--+++

ハルヒの前のアニメ監督が「知っていてとめられなかった自分も責任ある」とか言って謝罪したビデオがYouTubeに流出して話題になってますが、6回目もまた終わらなかった「エンドレスエイト」について終わる前に一言。
終わるまで何も言わない方が良いかとも思ったけども、まあ、あれこれと気付いたことなど。。。。

(ニコ動から削除されてる)前5回まるごと一回で見せる動画と、6回目とあわせて視聴してみました。
http://www.cartoonleap.com/2009/07/21/haruhi-second-season-all-five-for-the-price-of-one/

反復とタイミングの違い

朝比奈さんからケータイ着信が入るタイミングが5回目までは繰り返す度に早くなる傾向がありますが*1、6回目は、それがまたCM後まで戻っていた。

今回こそ解決するのか、また失敗か、というサスペンス効果を考えると、途中までループ展開、ラストで解決の途中まで、解決編だけ別の回という展開もありえるのかな、と思ったりもしましたが、発覚シーンの時間を前後にずらしているので、ループ展開をなぞりながら、時間的に解決するかどうかわからない効果をその瞬間まで維持して解決編になだれ込むのも可能なのかな、と考えました。それやらないとせっかくループした意味なくなっちゃうからね*2

5話目が解決版に近い時間配分で、かつ、時間稼ぎしている回ということかな、と。

繰り返しにうんざりした後で

さて、「エンドレスエイト」のループ演出をどう評価するのかいろいろ意見が出ていますが、私は基本的に肯定的に受け止めています。無駄な遊びかもしれないけど、限られた条件で演出手法をさまざまに工夫する作り手の創意は十分楽しめるものでしょう。どうせアニメなんて同工異曲ばっかりなんだから、新しいふりだけした新作よりは、同じプロットをどれだけ別に演出できるか見たほうが有意義というもの。物語を追うだけなら原作なりコミックを読めばよいだけで、物語には関わらず動く絵の面白さを味わうのがアニメ視聴固有の楽しみでしょ・・・・。

そんな風に4回目までは思っていた私も、5回目が終わらなかったときには怒ったり批判したりしているひとの気持ちがわかりましたね。4回目が期待を盛り上げただけに、なんともいえない徒労感。繰り返す度に、肯定派と否定派の立場が変わってしまったりと、作品にいろんな態度を取れるというのも、楽しみ方を広げてくれているのかも・・・・(苦笑)

それで、6回目をみたら、今回またちょっと面白かった。6回目のエンドレスエイトはアニメの絵としての演出よりも、台詞まわしとか、ドラマ的な演出の面で小技が効いていたなと思って、演劇を良く見る自分もちょっとうならされたというか。

6回目のドラマ的演出は心憎いね

たとえば、ハルヒの思いを推測して「なつやすみにぃ、やりのこしたことがあるぅ」とか女子高生口調(?)で語る古泉とそれをなぞってみせるキョン、とか、「15524回目」と聞いて泣き崩れる朝比奈さんとか、こまかい心理の動きや一貫性をきちんと演出している。

「アイラブユー」のくだりなども、古泉がおどけた演技をしながら唆したのをキョンがおどけて受けた後、「私が言ってみましょうか?」と挑発する小泉に、キョンが向き変わるのをしぐさと足音だけで描き、その表情を見ている小泉が少し驚く表情だけを画面に描いて「冗談ですよ」としめくくるあたり、ドラマ的な演出としてのきめ細かさが群を抜いている。まるで、ちょっとからかってみたら本気で怒っているので驚いた小泉、といった風情。そのあと、声だけで小泉とキョンのやりとりを描いているのも巧みな処理だと思う。おもわず本音がうかがえて面白いという風に笑う小泉と、からかわれて見透かされたのが悔しいみたいなキョン

ここでおそらく、あわよくばなぐりかかろうかという勢いの手の表情から怒っていると思えるようなキョンの様子を体だけ描いて顔の表情は描かないというのは、キョンハルヒにたいする無意識の葛藤と、キョンと小泉の関係を示唆するみたいで、とても憎い演出だと思う。小泉だけが、キョンの本心を見ていて、視聴者は小泉の表情からそれを想像することで、直接描かれるよりも強く効果的に、キョンの心に触れることができる、とでもいうように。
いずれにせよ、演技ということを強調するというモチーフをキャラクターの解釈にうまく結び付けていたと思います。演技しているという演技、が見事に演出され、演じられていた、と。そう言う意味で、とても演劇に近い回であったと言えるでしょう*3

ループ構造と演劇といえば/繰り返す回数の意味あい

ゴドーを待ちながら』は、1幕と2幕が同じ場所でゴドーを待ちながら暇をつぶしていたら、結局ゴドーに会えなかった、というプロットを繰り返している。この繰り返しの効果は様々な角度から語れる面白い構造なのだけど、2回繰り返すことで、延々と同じことが続くという際限のなさを示唆していると解釈できる。

最近だと、ダルカラードポップの『Bloody Sauce Sandwich』という作品が、姉妹の朝食のシーンを2回繰り返し、3回目の冒頭に重なる妹の血塗られた幻覚を始めの部分だけ反復するという処理を行っていた。
DULL-COLORED POP
ショート7回想 - PLAYNOTE
3回繰り返すことによって、事態が好転するのかより悪化するのかわからないという感覚が生まれていたと思う。最悪の事態と希望とが背中合わせになりながら切迫する感じだ。それが現在のまま断ち切られることによって、結末が開かれることになり、そのために、未決定の未来を条件付ける現在の背後にはりつく偶有性の感覚がより際立ったという感じがする。

そう考えると、2回とか3回だと回数による効果が定まってきますが、4回、5回と繰り返すと、繰り返す回数自体には意味がなくなってくる。エンドレスエイトの繰り返しは、繰り返す度にどっちに向かうのかわからなくなるという感覚を狙っているようです。繰り返されること自体の無意味さ、無方向さを強調することで、選ばれるはずの未来の意味がより強調される、とでもいうか。

ループ構造と偶有性

現在が別のものでもありえたかもしれない、という偶有性の感覚は、自分自身が取替え可能な存在であるという感覚、いわゆる流動性に晒され足元がすくわれるような感覚ともいえて、これはハルヒシリーズの根幹にあるモチーフだと言えるでしょう。

『憂鬱』で描かれる、野球場のなかで自分は特別ではないことを思い知らされたという小学生の頃の思い出をハルヒが回想して語るエピソードが、そのモチーフをキレイに提示していると思う。その解決は、クライマックスでキョンハルヒが閉鎖空間から脱出するシーンが寓意的に描いていると言える。あけすけに言ってしまえば、共に生きるかけがえのないパートナーと出会ってしまうことで、世界がそうとしかありえないものとなる。

ハルヒシリーズは、結局、そのモチーフの変奏を繰り返していて、キョンが佐々木とハルヒのどちらを選ぶのか、という話が原作では中断したままだけど、結局、偶有性を危機ではなく、かけがえのないものの選択として受容するというモチーフを描いていくことには違いないと思う。

結局、ハルヒシリーズの壮大なSF的仕掛けは、ボーイミーツガール的シチュエーションの主観的には誰にとっても奇跡的なものとして現れる感覚、たとえば恋に落ちると世界がまるでちがって輝いて見えるとか、そんな月並みなものを描くための仕掛けということになると思う。あるいは、そういうどこかロマンチックな事柄をいまさら衒いなく描くには、これだけややこしい仕掛けが要請されてしまう、ということかなと思ったりする。

エンドレスエイトのEndについて。

エンドレスエイト」から抜け出すということも、そういった偶有性の感覚を肯定に変容させるというようなモチーフの一変奏なので、これだけくどく繰り返しても、シリーズ全体のモチーフに回収することはできるし、繰り返しが過剰だからといって、アニメシリーズ全体としての構成が崩れるということも無いと思う。シリーズ全体の本質を寓意的に象徴するようなエピソードだし、この先の展開で、過去に何度も戻る冒険が描かれたり、分岐する世界が描かれるとしても、それはエンドレスエイトを抜け出すのと同じ構造を変形しているのだし、同じモチーフの反復ということになる。
原作小説の「エンドレスエイト」で描かれるループを抜け出す鍵は、集団でする行為自体としては高校生としては微笑ましいくらい月並みなことなわけで、多分アニメもそのプロット自体は変更はしないと思う。やることの内容を変えるというのは、本質的な意味がないことだし*4
原作小説が文字で喚起するイマジネーションにおいて、読者に与える驚異の感覚をアニメで実現するには、このくらいの馬鹿馬鹿しいループがあったほうが良いということかな、ともおもう。長い短いは関係ない。文字を追うときの、どこか息詰まるような選択の瞬間の切迫感と、何度も繰り返された失敗の上の成功という、反省的に文字を追ってこそ短編においても強く喚起される感覚を忠実にアニメ化するには、これだけ繰り返してみるのも効果的だと言えるかもしれない。
あの喫茶店で、ハルヒを呼び止めるキョンが夢中になって選ぼうとすることがらは、行為の内容が問題なのではなくて、そのハルヒと夏休みを越えることを選ぶということなのだし、寓意として描いているのは、人生を共にする相手を偽り無く選ぶことで、世界が変わるということなのだ。


賛否両論について

まあ、だからといって、7回も8回も繰り返す必要は無いだろう、というのももっともなご意見で、私としても、ループはバカらしくて楽しいし、ものすごくアニメ視聴とかアニメ産業の状況に対して批評的なからかいとして機能していてすごいと思うけど、作品として成立させるのに、そこまでしなくても良かったというのは同意できる。まあ、『消失』に向けてこれ以上の大掛かりな「引き」は無いと思うので、本当の「第2期」で見事に回収してくれたら拍手したいというところだ。
何度もキョンに呼び止められて、エラーを蓄積していく長門と、それを見守ってきた記憶を上書きしながら、長門に向かい合うキョン、みたいなことを、このあと描かれるだろう『消失』のクライマックスでアニメ視聴者は否応無く想起するだろうし、その場面が見事に決まったとしたら、その感動はおそらく、エンドレスエイトの反復を乗り越えてこそ、より強まるというものだ。それに期待する。そこがこけたら、皆でブーイングして良いと思う。


個人的には、筋金入りの長門ファンがループ演出を途中で拒否されたことにショックを隠せない。長門のためのループ演出なのにぃ・・・(笑)*5
2009-06-19 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-06-22 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-06-26 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-07-03 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-07-10 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-07-17 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
2009-07-24 - ちょいヲタ日記 >また図書館に_
でも、これは、どのキャラに思い入れあるかということではなく、「サムデイ イン ザ レイン」を楽しめるかどうかという、感受性の違いかもしれない。*6


ループ演出肯定派の意見としてとても念入りな人の意見も聞こう。
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090620/1245434664
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090627/1246045207
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090704/1246654099
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090711/1247249279
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090718/1247914263
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090725/1248469322

僕も、「サムデイ イン ザ レイン」はけっこう好きなんですよね。


あと、批評的な精度ということでは、次も要参照かと。
http://nanari.tumblr.com/post/111566272/2009
個人的には異論もありますが、ま、それは終わってからにしよう。


京アニ公式見解

※活動日記(各話のデータと制作側のコメントなど)
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(エンドレスエイト)
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(エンドレスエイト)
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(エンドレスエイト)
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(エンドレスエイト)
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(エンドレスエイト)

涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【活動報告】(サムデイインザレイン)


※制作日記
涼宮ハルヒの憂鬱・京アニサイト【製作日記】(2009年07月24日)

いつまで続くのやらなエンドレスサマーに暑さ倍増の毎日にゃが、いかがお過ごしにゃ?
毎週放送が終わる度に開いたアヒル口がふさがらない黒ねこマンを誰も責めはしないと思うにゃ!(7月24日)

一部ファンの怒りをさらに増大させるようなことを・・・・(笑)

(追記)古泉を小泉にしてたので訂正。面目ない。あと、予想の範囲を拡大。
(追記2)タイトルを何気にすっかり間違えていたのでこっそり直しました。あー恥ずかしい(7月27日)
(追記3)リンクを追加。
(追記4)原作の解釈について、注に追記する(8月6日)

*1:厳密には4回目より3回目の方がタイミングが少し早くて、4回目は2回目のタイミングに少し遅れるくらいになっているようです。跛行状にタイミングが揺らぎつつ早まっているというか、ともかく5回目は飛びぬけて一番早いですね

*2:だから、次回で発覚が遅ければ、再ループの可能性が高いですが、そうとみせかけて後半駆け足に解決編ということもありえなくは無い・・・・

*3:冒頭の短いカットを挿入するのはフィルム的で、だから舞台劇じゃなくて、映像ドラマ的だって言った方がより正確なのかもしれませんけどね、ま、次節へのつなぎってことで(笑)

*4:ちょっとネタバレしていってしまえば――結局キョンが自分からハルヒを誘うということが重要なことなのだから(追記、原作小説の描写を読み直してみたら、キョンが直接ハルヒを誘うことにはなっていなかった。でも、自分にそういう印象が残っていたのは、キョンハルヒを誘っているのも同然であるという解釈をしていた、ということだろう)。そうすると、まあ、それからやる内容に関して原作から逸脱しても、「原作レイプ」にはならない、という判断もできなくはないですね。繰り返しの回数の逸脱と、飛行機のテーマがそっちを示唆していると言えなくは無いか・・・・。

*5:6回目は比較的朝比奈さんのための演出が際立ってた感じですけどね

*6:コメント欄で引用先の方からコメントをいただきました。この一節は引用先を十分読んでいないために、さらに誤解を広げる可能性があるものでした。お詫びして訂正します。