『反=日本語論』を読む#2 海とla mer

 ところで、蓮實重彦の『反=日本語論』は、雑誌になりゆきで書いていた文章を一冊にまとめたものだってことで、雑多な話題をいったりきたりして、さまざまな角度からモザイクのように、日本語と日本語論とに対する批判的な考察が進められていく。

反=日本語論 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)

 集中の「海と国境」という文章では、のっけからトリッキーな文章でこれは直訳によってパラドキシカルに翻訳不可能性を示そうとしている。

 「まさか日本に海がないとは思わなかった」

 これが、蓮實重彦がフランスで結婚した奥様であるシャンタル蓮實さんの言葉で、おそらくフランス語での会話を日本語にうつしているのだと思われる。

 フランスで感じてきた海が、日本にはない。つまり、フランス語のla merは「海」と翻訳できない。翻訳すると、日本に海がない、という矛盾した言明が生まれてしまう。というような。

 でもこれって「智恵子は東京に空が無いと言う、本当の空が見たいという」っていうのと違うことなのか、同じなのか。
 同じだとすると、日本語の間にだって、フランス語の単語と日本語の単語との間にあるのと同じくらいの差異がありえるって話になるのか。
 あれほど忘却を厳しく批判してきた蓮實重彦高村光太郎のことを忘れていたことは、ありえない!とすれば、ここにあるシャンタルさんと智恵子さんとの間の差異は、「滑稽さの彼岸」に通じる何かであるはずだ。

 ところで、直訳によるパラドキシカルな言明というと、蓮實重彦の用いる「無償」という用語は、gratuit の直訳と思って読むとわかりやすいんじゃないかと考えたことがある。フランス語の辞書で引くと、gratuit には、無料、無報酬、のほかに、根拠のないとか、動機の無いとか、無関係の、というような意味合いもあるので。