ケータイ小説的とカタカナのリアル

若手の俳人として注目されていて『現代詩手帖』でも連載している高柳克弘さんのページをなんとなく見たらドラマ『ラスト・フレンズ』のことを気にしているのが(こういうと失礼かもしれないけど)面白かった。

・「ラスト・フレンズ」は一回見たけど、面白くなかったな。
傷つき、もがく若者の諸相。リアルのようで、リアルじゃない。
http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/76.html

と書いてたかと思ったら

・「ラストフレンズ」が最終回だというので、頑張って早く帰って観る。
若者の実態をリアルにドラマ化……と巷で言われているが、どうなのか。
あんな落ちでいいのかな。いろいろ悩む。
http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/80.html

と書いていたり。

妻がはまっていたので私もこのドラマを飛ばし飛ばしながらだいたい通して見ました。

ラスト・フレンズ - Wikipedia

別にちょっとくらいこういうドラマがヒットしたからって悩むことも無いのにな、と思わなくも無いですが、歌人東直子さんも日経の夕刊で誉めていたりもしたし、表現者としては時代の感受性のあり方に敏感になるというわけでしょうか。

それで、高柳さんの「リアルのようでリアルでない」というつぶやきが気になりながら最終回を見て思ったのは「これってケータイ小説の読者向けにマーケティングして書かれた脚本なのでは」ということ。特に、レイプ、自殺、死んだ恋人の子を妊娠、罪の意識を子どもへの愛によって昇華する、みたいなプロットはケータイ小説を思わせる。あまりに明白なことなので誰か指摘していないかと検索してみたら、やっぱりそのあたりを指摘した記事があった。

ラスト・フレンズ』は、“社会派ドラマ”と銘打たれながらも、実は新しい視聴者層=10代、20代のケータイ小説読者層を開拓するための新戦術の結晶だったのかもしれない。
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=18983

上の記事では、mixiのドラマについてのコミュについたコメントについても触れて

1話放送されるごとに感想トピックには約3000のコメントがつき、その多くは自分の体験談である。それだけ多くの人々が『ラスト・フレンズ』にリアルなものを感じているということだが、この消費のされ方もケータイ小説的である、と言うことができるだろう。

と述べていたりもする。

ケータイ小説について私は本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか (ソフトバンク新書)』を読んだ程度のことしか知らないです。この本の書評を引用して紹介に代えます。

 ケータイ小説の多くは「七つの大罪」を描いている、と本田は指摘する。売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛。ケータイ小説は東京よりも地方で売れているが、その理由は、この七つの大罪が地方都市の女子中高生にとってリアルなものとして映るからだ。

 もちろん地方の少女たちが皆、売春したり妊娠したり自殺しようとするわけではない。だが、東京発の東京目線でつくられるテレビドラマ等のよそよそしさに比べれば…。そういえば、ケータイ小説の多くは、作者の経験した実話として語られる。「友達のいとこの先輩が実際に遭った話」などとして語られる都市伝説のように。
[評者]永江 朗
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2008033003.html

この本の主張を一言でまとめてしまえば、ケータイ小説は現代の女子中・高生のあいだで民間説話のように消費されている、ということになるだろう。
『なぜケータイ小説は売れるのか』: 映画評論家緊張日記

ドラマの出来として言えば、長澤まさみが顔に怪我をしたりする様子とかをあらわすのにとても念入りだったと思う。あそこまで長澤まさみを不細工に見せたところがすごい*1長澤まさみの演じた役の母親の部屋の場面とか、雰囲気の出し方が絶妙で良い仕事だと思った。そういうディテールでリアリティを醸しだしている。

でも、人物はプロットを優先して動かされているにすぎない。そのプロットはマーケティングによって計算され尽くしたもの、というわけだろう*2

それで、枠組みとしては「ホラー」なんだろうな。音楽や効果音にしても、怖いもの見たさをくすぐってみせるという演出。それで問題をちりばめてみせた上で、偽の解決を与えて視聴者を安心させてあげている。

まあ、テレビドラマなんだからそれで良いともいえる。でも、エンターテインメントとしてヒットながら、崩壊期の社会のリアリティを結晶させて古典となるものってあるよな。ということで、広末保の『四谷怪談―悪意と笑い (岩波新書の江戸時代)』を思い出した。
消費者なり生活者なりへの新しいマーケティング手法をつきつめた先に今の時代を古典として後世に残すような作品が地上波のTVドラマで実現不可能だというわけでもないのだろう。


*余談
女の子2人の名前がセーラームーンにちなんでいるって指摘もあって面白かった。
http://yaplog.jp/hina-momo/archive/391
それも含めて見事なマーケティングだとも言えるだろうけど、掘り下げてみたら面白い何かがそのあたりにあるのかもしれない。



※高柳克弘さんの人となりについて簡単なリンク集

http://www.granship.or.jp/publication/g/comer/34.html
ぴーぷる
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20050907bk06.htm
俳壇を背負って立つ人々: かわうそ亭

*1:上野樹里もふくめて、女優生命を長持ちさせるために必要なイメージチェンジをちゃんと果たしているあたりも企画としては見事だったなと思う。しかし、長澤まさみの人としての未熟さみたいなものをそのまま役柄に落とし込んだキャスティングはすごくてそういう所の完成度の高さと口コミの起こし方も含めた売り方のうまさがヒットにつながったんだろう

*2:そのへん宗佑という人物の造形がご都合主義的で、そういうプロット優先で人物を動かしてしまうあたりは『夜のピクニック』で出てくる邪魔者の女の子の悪意の描き方と同様だと思った。登場人物がかわいそうだなと思う