ダンスとポタライブをはしご

今日は駒場アゴラ劇場に出かけて、世田谷パブリックシアターに行って、また駒場アゴラ劇場に行った。

ミニポタライブ3本とダンス2本みた。ミニポタライブを1本に数えても1日3本。こんなに舞台を見るのも久しぶりだな。アヴィニヨン演劇祭に行ったときは連日5本とか見てたこともあったけど。

村井美樹さんの『燈−ともしびー』は、岸井さんのポタライブに作風が近い感じ。駒場にあんな崖があるとは初めて知った。コンパクトにシアトリカルな魅力を凝縮しているクライマックスがなかなか巧みだった。

米光一成さんの『ぼくがゲームを作らないと世界は滅びてしまうから』は、ポタライブのルールをたくみに組み替えて演劇のツボをぎゅっとつかんだ感じの演出がさすがだった。アドリブが絶妙。岸井さんが「他の人では怖くてできないようなことをしている」といっていてなるほど*1。ワークショップ的セミナーショーという感じだった。まだまだポタライブには可能性がひろがっているんだなとおもった。

そのあとジョセフ・ナジを見た。ナジ自身がどうのこうのというのとは別にして、舞台という制度そのものが疲弊しているのじゃないかと思った。ポテンシャルの水準が総体として引き潮なんじゃないかと思った。

アラン・プラテルとか、ナチョ・ドゥアトとか、ヤン・ファーブルとか、見てみたいなあと思ったりするけど、今はそういうものを見る時期でもないのかもしれないと思いつつ再び駒場へ。

結局、神村恵カンパニーの「山脈」を見て、退屈さの瀬戸際に分泌される明瞭さの快さがあるよな、と思いつつ、時々不意打ちされるような動きが目で追いきれない質の記憶だけ残す。

垣内友香里『ともだち』のソロバージョン。黙って道を踊ってあるくダンサーにただついていくというのは案内のあるポタライブとは別の新鮮な経験だった。見ていて、アン(ナ)・ハルプリンの名前を不意に思い出した。最近、あのサンフランシスコに行った、ポストモダンダンスに影響与えたひとなんていったっけ、と思い出せないでいたのだった。

(2008年7月30日 mixiから転載)

*1:ひょっとして再演あるかもしれないから内容に踏み込んだことははっきり言いませんけど、具体的に言うと、観客参加ということを逆手に取った演出をしていて、観客と米光さんとの対話が巧みにドラマとして立ち上がってくるような仕掛けになっている