フォークのコアな部分

それから、高田渡のことが気になって(映画の話題も聞いたりしてね)NHK教育の番組http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0515.htmlを録画してたのを今日見てみた。

フォークっていっても、いろいろ軋轢もありつつの歴史だったのだな。と、勉強になってしまった。当時の映像の使い方もツボを押さえていて、なかなか見事な編集。

高田渡が、ライブ中に寝てしまって、それで山之口獏の「どこでも寝ちゃうんだ」といった風な詩に高田が作曲した曲を歌うなんてあたり、そりゃ観客はもりあがるよな。

もう一人取り上げられていたのは「高石ともや」。私も受験生ブルースの人と聴いて、あ、あの歌の、と納得したくち。
70年代に山村にひきこもって廃校になった小学校で暮らしたり、ホノルルマラソンに親子で参加したりという、高石ともやの生き方は、ねじれた仕方で時代を先取りしているのも面白かった。
子供のころ映画「グレンミラー物語」を見てミュージシャンにあこがれたとか、高校生の時はハワイアンやってたとか、そういうアメリカ文化への憧れの先にアメリカ譲りの「フォークミュージック」があった、というあたりも、事後的に形成された四畳半フォーク的なイメージからすると見えてこないフォーク史のルーツという感じで、歴史観が一新されました。
なんつっても、高石ともやバンジョーフィドル(バイオリンのことですが)も弾けちゃうってところが、本格的だ。

それに、高石ともや谷川俊太郎の詞に武満徹が曲をつけた歌を歌っていたりもするのだ。なかなか馬鹿にできない。

そんな高石ともやが、コンサート会場で思想的に舞い上がっちゃってる造反学生のつるし上げにあうなんて場面の記録映像も流れる。そんな映像に被せて流されるのが、高田渡が「新宿フォークゲリラ」を虚栄だって痛烈に批判する歌なんだ。なかなか気の利いた番組構成。こんな歌を作ってたなんて知らなかった。

なんとなく、80年代に十代だった身としては、フォークというのは一律恥ずかしいもの、というイメージを刷り込まれていたのだけど、ジャンルも、時代も、良し悪しの基準では無いという当たり前のことを教えてくれるのは、やはり本当の意味で肯定的なものなのだということだろうか。

でも、こういう番組構成だとユーミンとか拓郎とか陽水とかが軽薄に見えてしまったりするわけだが(それぞれ、当時の映像を巧みに引用)それはそれで、別のパースペクティブが必要なはずだよな、と思いつつ見ていた。