習慣

アメリカから帰ってきて、なんだかラーメンを良く食べるようになった。一時期、うっかりカレーを食べたらしばらく、カレーを食べつづけた頃もあったな。どうも、人間にはそういうところがあるようだ。

多分、行きの飛行機のなかでカップめんが出た所為だと思う。なんだか、身体に悪そうな味が禁断症状のように欲求を刺激するのだ。

ポートランドユースホステルでは、自炊できる共同キッチンに使い切れなかった食材が残されていると、誰でも自由に使えることになっていて、僕も何食分かお世話になった。
その残り物のなかに、カップヌードルとかもあって、いっそカップめんだけで食費を浮かす手もあったのだな、と思った。結局食べなかったけど。

帰国後一週間あまり。ようやく、日本の時間に慣れてきた。アメリカ西海岸というのは、一番時差がきつい地域ではないだろうか。−17時間というのは、一種かなりなねじれなのである。

帰りの飛行機では、メキシコから中国に旅行する壮年の夫婦と隣り合った。座るとき「Hi」と言ったのが、多少距離を縮めたように思う。

お店とかで店員さんに「Hi」って言うのが、なかなかためらわれたんですが、旅の終わりごろ、二週間たったことには、ちょっと慣れてきていた。
日本ってのは他人同士がだいぶよそよそしく暮らしている国です。

そのメキシコから来たおじさんは、国境の町に住むという。保険会社につとめていて、友達に日系人と結婚したのがいると言っていた。
飛行機の中で、テキーラを一杯くれた。その国のお酒と言えば日本のSakeと一緒ですね、なんて受け答えしつつ、美味しく頂いた。

中国回ったあと、日本に寄って帰ると言ってたけど、帰ったあと、しばらく時差に悩んだりするのだろうか。

結局、奥さんとは話さなかったけれど、離陸のとき、祈っているのが目に入った。
それが、マリア様に祈ったのか、神様に祈ったのか、僕は知らない。(キリスト様と書くと、なんか貶したように響くから不思議だ。)

そんな個人的儀式を見かけるとすぐに、それは平常な心を取り戻してくれるものでもあるのだろうなんて考えてしまうのは、私の個人的習慣の帰結でもあったわけだ。

(初出「虹の錯視 第二」/2010年3月14日改稿の上再掲)