ポタライブワークショップ その2

 ポタライブのワークショップには、前から少し出たいと思っていた。妻が「朗読会に出るのに参考になるかもしれない」といって受講を決め、一緒に出ないかとさそわれて、受講してみることにした。

第3回目は『選択』
http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200704300000/

駒場での初級ワークショップ、今回の会場は駒場野公園。木漏れ日の下の遊歩道を歩きまわる。
http://meguroku-net.com/meisyo/komabano/P1-komabano.htm

 選択と聞いて、素材の取捨選択をすることかな、と軽く思っていたが、それが大きな思い違いだったことに気づかされていくことになる。

 まず初めに、『観察』の回と同様に気になったものをそれぞれに携帯電話のカメラで撮影してゆく。その中から、三つを選ぶように言われる。私が選んだ三つのもの。
 そして「三つ選んだうちには、共通点があるものが二つあるはずなので、その二つを選んで共通点を見つけてください」といわれる。
 番号札と、針金をねじったもの二つを選んだ。共通点は「自然の中にある人工物」ということにしようと思った。


 参加者のそれぞれが、自分が選んだものの前に立って、共通点を説明していく。その、共通点が何なのかについて、参加者それぞれの説明はどうしても抽象的になりがちで、周りの別の参加者には、なんでそれが気になって、気になる共通点は何なのか、初めはあまりぴんとこない。

 そこから、創作の発想をするための引き出しのラベルとして使えるような、ぴったりくる言葉を探し出すのに、岸井さんと参加者の間で問答が続けられている。無意識にひかかっているものをぴったりと言い当てるための問いかけが続いていく。精神分析ってあまりよく知らないけど、そんな臨床の技術に近いような印象。岸井さんは、「前回の参加者には、母のことを思い出す、とか、賛美歌が流れる、とか共通点をあげていて、木がくみあわさって十字になっているってことにずっと気がつかなかった人がいたんです。まわりの人には一目瞭然だったんですけどね。その人のお母さんはクリスチャンだったということなんです」とエピソードを語っていた。

 岸井さんは、あくまで、ぴったりくる言葉を参加者が自分でつかみ出すために問いかけを続ける。与えられた言葉では、結局役に立たないのだそうだ。自分ではわかっている感覚があるのに、それを言い当てられない状況で、言葉を探すのは苦痛が伴うもので、自分の番が来るまで、その苦しさとか、そういう苦しい状況をくぐりぬけてぴったりくる言葉を見つける必要がある理由がよくわからなかった。
 自然の中にある人工物、という回答では、岸井さんを満足させることはできなかった。そのときどんな質問の導きを受けてひとつの言葉を見つけ出したのかそのプロセスはあまりはっきり覚えておらず、苦しんだという記憶だけが残っている。
 「もっと、明確に、一言で言い切る言葉はないですか?」「部品、とか」「部品だとまだ抽象的すぎますね。もっと具体的な方が良い」・・・・イメージや概念の階層をいったりきたりして、焦点やアングルをかえたりしながら考えていったとき、ふと懐かしい言葉が飛び出してきた「理科工作です!」
 すっかり忘れていたけれど、中学生のときのクラブ活動が「理科工作クラブ」だった。そのときの感覚がピンポイントで蘇る感じ。

 そのときの、腑に落ちる感じが、言葉を口にするパフォーマンスにも、説得力を与える力になるものらしい。三つ目の若葉の写真との共通点は「理科」ということになった。
 『選択』の苦しみと、それを乗り越える感覚は、実際に自分が受けてみないとわからないものだ。

 それぞれに、選んだ言葉をもとにして、またひとつのシーンを選んで、自分が一番長くやってきたことと関連付けて語るというパフォーマンスをして、初級三回目の講座は終わった。駒場野公園に設置されている焼肉やバーベキュー用の竈には、組み合わされた石にペンキで番号が振ってあって、小学校の頃地学が専門の理科の先生がいた思い出を語ってみた。

 『選択』とは、創作のコアとなるテーマとか、モチーフを選ぶことだった。岸井さんは「選択とは出会いを意識化すること」であると説明する。観察を重ねて、そこから自分の感受性のコアとなるものを見出すこと。「選択は、好き、運命、偶然、神様、などと表現されるが同じことだ」と岸井さんはまとめている。たとえば、クリストにとっての梱包だったり、作家にとっては、それで一生が決まるほどに大事なものが『選択』である、ということになる。

 そこまで大きな話でなくても、ひとつの作品を説得力のあるものとして作り上げるためには、きちんとした『選択』ができていなくてはいけないし、その『選択』がきちんとできているかどうかの判断は、ある程度意識化、方法化できるものである、というのが、この講座で受講者が学ぶことだ。
 岸井さんは、欧米の美術系大学などで行われている創作法の講座からヒントを得てこのワークショップの内容を固めたと言っていた。創作法というと、なにかそれで作品が作れるマニュアル見たいなものかと思ってしまうけど、むしろ、創作法とは、創造的ではない安易な決着を排除して、自分のやっていることがどれだけきちんとした創作であり説得力あるものになりえるかどうかを判断する基準をしっかりと持つ、その感覚を養うものなのだろうと思った。

 余談だけれど、『選択』のワークショップでは、「偶然選んだ三つのものでも、同じように共通点が見つけられるんですよね」ということで、他の人の不意の合図でその時見ていたものを写真に撮って共通点を一言で言い表すというワークも行った。その時私は撮った3枚は、植物、植物、妻、だった。共通点は「生えている」。参加者全員が「うんうん」とうなずいて私のワークは終了。あとで妻に「私ってそんなに生えている感じ?」と度々聞かれることになった。