フィレンツェ展

昨日、東京都美術館の「フィレンツェ 芸術都市の誕生」展を見てきた。なかなか良い企画展だった。

展示は、都市/絵画/彫刻/金工/建築と居住文化/織物/医学/科学、と8つのセクションに分かれているのだけれど、それぞれのセクションの冒頭に、石に職業を象徴した図像を刻んだレリーフが掲げられている。それは、現世的に専門家が仕事に勤しんでいる姿を描いたものではあるが、同時に、エンブレムとして仕事の精神を象徴するものでもあるのだろう。

これらのエンブレムは公共の建物に掲げられていたものらしいが、かつてのフィレンツェにおいて、生活を作り上げてゆく技芸や知識を表象する図像が公共の場を織り成していたことそのものが、展示のコンセプトにも結実し、展示空間に明示されている。

イタリアの研究者が企画を手がけたらしいが、展示そのものがイコノロジー的な図表化の実践であるかのようだ。図像学などに結実した20世紀人文学の成果を踏まえて、フィレンツェの都市生活を様々な角度から浮かび上がらせつつ、芸術のありようを、物の秩序のなかに据えているとでも言うか。人文学的知見に召還されて、実物はさらに豊穣に語りかけてくる。

絵画や彫刻などの美術品としては、マイナーなものしか出ていないということになるのだろうけど*1、むしろ絵画を、描かれたものとの対応において読み解くように促す。

ポスターにも使われていた若い女性の横顔を描いた華やかな作品にしても、展示に添えられた解説では、衣服やアクセサリーに注意を促していたりする。様々な絵画作品は、織物や金工が当時どのように用いられていたかを生き生きと語るものとして、それぞれのセクションに分配されている。

たとえば、絵画に描かれた衣服と同種の布地が、その脇に展示されていたりする。生活の秩序のなかに、物がどのようにしてあったのかが画像の中に図示されていると同時に、絵画作品が「表象する事物」として生活の秩序の中にあったこともまた照らし出される。

医学書から貨幣目録、関税課税台帳からペトラルカが書き写したというダンテの写本まで、様々な書物も展示されていた。それが、たとえば懐胎している聖母マリアを描いた絵画に添えられた、「聖母が手にしている書物は、神の知の象徴として身ごもられているのがキリストであることを暗示している」といった解説に導かれて響きあっている。

展示という空間の中で、生活の場から切り離されているからこそ、描くことと描かれたものとのもつれ合いが逆説的な仕方で浮かび上がる、そのような空間が美術館という現代の公共空間のなかに実現されている。

解剖学がミケランジェロの彫刻の骨格を定めていたことと類比的に、画家たちも織物や金工の技術に通じていたことが、画面と伝えられた当時の遺物の対照から示されてゆく。人文学者もまた、それらの技術に精通しようとしているだろう。

織物が、フィレンツェの富の源泉であったということだけど、事物を織り上げてゆく学術=技芸が、都市生活の尊厳もまた織り成していたのだ。そのことを示唆する展示のコンセプトを可能にしたのは、儀礼と象徴の解剖学としての人文学に他ならない。

聖職者の墓地から発見されたクッションが展示されていたりする。愛用の品だったのだろうか。遺物を保存しようとするまなざしのあり方について、すこし佇んで考えることを、促すように、パッチワークされた小さなクッションは鎮座している。

美術館に陳列すること自体が、断片化の仕事であると言えるかもしれない。しかし、そこでは、廃墟は、過去のかなたへ飛散してゆくだけでなく、過去の姿を描き出す星座として、新たな生を得ているとも言えるだろうか。

・余談

私は、マリア像に糞を投げつけた男の話を描いた絵物語りのひとこまひとこまに悪魔が描かれている様子を見て、ゴーリーの『不幸な子供』*2のことを連想したり、算術指南書をみて、商家に育った与謝野晶子のことを連想したりもしていたのだけれど、それはあまりに個人的なことかもしれない。


バロックの語源である歪んだ真珠というものの実物や、歌人がよく言及するラピスラズリの現物も(少なくとも注意深いしかたでは)初めて見て感心してみたりもしたのだが、それはまた別の個人的物語りを要求するだろうか。北方とのつながりも様々に示唆されていたのも興味深かった。


・関連リンク

山下史路「フィレンツェから愛をこめて」:島田雅彦登場。
http://www.page.sannet.ne.jp/h-yamashita/index.html

*1:フラ・アンジェリコとかミケランジェロとか、ヴァザーリとかボッティチェリとか出ていたけど、小品であって、それだけを期待するとがっかりすることになるだろう。

*2:原題はThe Hapless Child http://www.kawade.co.jp/specials/gorey/gorey2.htm