文語と口語

以前、文語と口語が無造作に混ざった短歌ってどうもね、という話を書いた。
花山周子第一歌集批評会の件 - 白鳥のめがね

オギーのブログ(の読めてなかった分をまとめて)読んでいたら、吉川宏志さんが文語と口語を混ぜ合わせた文体を意図的に構築していると知った。
2008年10月30日(木): ogihara.com

旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る/吉川宏志

「旅なんて」、という口語的な措辞が、文語的な「なり」と齟齬している。鯖街道 - Wikipediaって、実在する歴史ある地名でありながら、イメージや響きとしてはどこかキッチュな印象もあって*1、伝統的な歌語である月を赤くしてどこか安っぽい貸本劇画風の書割みたいにしまう。

荻原さんは、コロ助みたい、と言っていて、む、この着眼から引き出せることって意外とリッチじゃね?と思ったみし*2

吉川宏志さんて短歌ヴァーサスでの発言などみていてあまり好きになれず、はっきりいって読まず嫌いできたし今後も読むことはなさそうだけど、堅苦しい歌壇の人って勝手に持っていたイメージも違うのかなとちょっと思った。

*1:今回検索して初めてしったけど、ふざけた造語みたいな感じもありながらどこか典拠のありそうな気配の面白い語だと思った

*2:東浩紀が『日本近代文学の起源』を援用している作法を逆転させて、キャラクター論と定型論を過剰に一般化することで悪路バティックな逆照射を短歌とポップ文化双方に差し向ける、みたいな。。。。思いつき。俺には賭けねえな。