青年団若手自主企画「御前会議」

土曜日の昼に見た。
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平田オリザの同名戯曲のセリフにビートを付けて、セリフを音楽的に聞かせてみせようとする。
これは、「現代口語演劇」の先にある何かなのか。
違うだろう。
むしろ、前提にさかのぼっている。

上演されるセリフはそもそも音楽性を持ってしかるべきなので、セリフの背後にビートを響かせなくてもきちんとした演劇になっていれば音楽的に響いて当然なのだがそれができていないのでトラックがかぶせられたりするということなんじゃないか、という感想。

あと、戯曲が持っている(不条理劇的)悲喜劇的な性格が、バックトラックの有る無しによって際立たされていた。
ベルクソンの喜劇論は、人間の振る舞いが機械的になっているのが滑稽なのだという議論をしていて、この舞台でも喜劇的な側面は機械的なビートにセリフが乗るところにきわまっているのだけど、戯曲がのぞかせる悲劇的なトーンは、無音によって際立たされるのだった。

結局、リズムマシーンのビートは、演技なり演出なりの不足を補う機械仕掛けになっていたわけで、つまり、演劇の現状に何が欠けているのか、その前提を図らずも明示する試みだったのではないか。

その意味で、この舞台は「現代口語演劇」の前提に遡る作業ではあれ、現代口語演劇として提唱された演劇のあり方を先に進める何かではなかったのではないか、と思われる。

戯曲を読んで確かめたわけではないが、他のレビューの類も別に確認はしていないが、平田オリザ戯曲のきわめて忠実な上演だったには違いない。