文楽の音楽性、それと、歌舞伎の絵画性

9/16に、国立劇場文楽の公演(夜の部)を見に行った。いろいろ縁があって、さそわれて見に行ったのだった。演目は『恋女房染分手綱』(こいにょうぼうそめわけたずな)。公演にはいろいろと感銘を受けたりしたのだけど、古典芸能は、オペラとかバレエを見るのと同じ回路で見ているような気がした。

自分の生活感情みたいなものと離れた所で感受しているという理由から、西欧の古典的舞台芸術に対するのと同じ鑑賞態度をとっているという意識が生じたのか。それもあるだろう。一昔前なら「封建的」と退けられたような義理の世界に、かすかな違和と嫌悪を覚えながらも、異文化として相対化して見ていたのだった。しかし、それだけではなく、オペラやバレエが完成させているものと同質のものが舞台にあったということもあるだろう。一言で言えば、舞台造形の音楽性とでも言えるようなものの達成に、私の心は動かされていた。
ともかく、涙あり笑いありホラーありのバラエティ豊かで飽きさせない展開には、江戸の民衆文化の豊穣さを感じたのだった。

人形浄瑠璃を舞台で見るのは初めてだったわけだけど、それがいきなり「能舞台定乃進切腹の段」からみることに。これは、劇中劇として、能の「道成寺」が演じられるというちょっと珍しい場面だ。
舞の足先を表現するのに、下から操作する文楽の人形では床は見せられない。それで、人形を宙に浮くような形にしているのが、能の幽玄みたいなものを象徴的にあらわしているようで面白かった。

ちょっと注意を引かれたのは、釣鐘が落ちたあとのくだりを、ほとんど狂言の様式で演じていたことだ(能の演技を義太夫でやるというのも、ちょっと面白いところなわけだけど)。そのへん、ちょっと気になったので、ちょうどテレビでやっていた「道成寺」の録画中継を見てみた。

今の能では、あからさまに狂言のような滑稽さを示すことなく、抑制気味に上演しているみたいだけど、もともとは喜劇的な様式と荘重な様式とがどぎつく混交するところだったのかなあなどと思う。文楽の演出に、能の古い形が再現されていたりするなら面白いことだなあと思ったりしたけど、そういうことを調べるには何を参照すれば良いのでしょうか・・・。

江戸の上方の観客に、能も文楽も見るような人がどれほどいたものだろうか。

さて、歌舞伎座文楽と同じ演目をやっていたので、この機会に見比べてみようと思った。私は田舎の市民鑑賞会で何かの世話物を一幕見たことがある程度。たまにテレビでちょっと見ることもあるけれど、歌舞伎にはほとんど親しんでいない。

『恋女房染分手綱』は全13段の一大大河ドラマといった風なんだけど、歌舞伎と文楽で重なっていたのは、「道中双六の段」「重の井子別れの段」の二場面。

上方から江戸にお嫁にゆく幼いお姫さまが、東国になど行きたくないとダダをこねているところに、東海道の名所を織り込んだ「道中双六」で巧みに遊んでみせる馬子が連れてこられてお姫様のご機嫌を取ることになり、おかげでお姫様は機嫌を直して江戸に向かうことになるが、そのお姫様の乳母、重の井は、その馬子と生き別れになっていた母親だった。で、いろいろ義理立てしなければならないから溢れる愛情を断ち切り、わが子の思慕の念を振り払って子供を退け別れるという母親の心情を演じるのが見せ場となる、という話。
歌舞伎版も、文楽の台本をほとんどそのまま流用しているようだ(調べたわけではないけど、一字一句変わらない言葉が頻出しているのはわかる)。

歌舞伎の方は、子役のお披露目的な演目として、まだ未熟な子供は黙っていなさいといった楽屋落ち的な演出もあり、いまいち乗り切れない場面が多かった。
「道中双六の段」は、トリックスター的に乱入した馬子が見事な口上と身振りや節回しでお姫様のご機嫌を取ってしまうというカーニバル的な賑やかさがポイントになるはずの場面で、その点で文楽公演でも、道中双六の場面に関しては今一歩、芸が理想に届いていない感じがしたけど、歌舞伎の舞台の音楽性の欠如にはちょっとうんざりとしてしまった。

文楽の場合は、三味線の調子と、義太夫の語りの抑揚と、人形使いの演技とが、絶妙なアンサンブルとなって見事な音楽性を達成しているのがとても魅力的だったのだけど、今回見た歌舞伎版では、三味線の旋律なんかが単なる装飾になってしまっている場面が多かった。

しかし、そんな風に全体の演出は締まらないなあと思いながらも、いわゆる見得を切る場面の演技はさすがに見事で、重の井(役者は芝翫だそう)の立ち姿が醸し出すものの密度は、現代演劇の世界ではめったに味わえない域のものだった。歌舞伎というのは、演出よりも演技へと偏重したものになっていて、それも、展開の音楽性よりもスペクタクル的な絵画性に偏ったものになっているということかなあとつくづく思って帰ってきた。


ちなみに、歌舞伎座では「男女道成寺」もやっていて、こっちはちょっと見逃してしまったのだけど、重の井とあわせて文楽公演と歩調をあわせた企画だったのかなあと考えずにはいられなかった。