手塚夏子妊娠記念公演

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に投稿した公演、夜の部を見に行った。

『出産衝動』は、おなかにスクリーンを装着して映像を映すパフォーマンス。スクリーンには紙が仕込まれていて、(パフォーマー本人の)右から左へ手で引っ張ってスクロールしながら、そこにクレヨンでいろいろ図形を描いてゆく。映像は、アイコン的にキャラクター化されているけど、ちんちんが動いて射精する様を表していることはよくわかる画像から始まって、ウサギとか、カメとか、絵本調の動物が跳ね回ったりするような楽しげなもの。

紙をぐいぐい引っ張っていく様子や、円形をゆっくり大きく描いていったり、心臓のパルスをグラフ化したような図形を描いていったり、自分のおなかの実写映像に重ねて妊娠線のように縦の線を重ねていったりするパフォーマンスには、様々な個人的感慨が込められているようにも思える。

手法的にも斬新というわけでは全くないし、身体表現として先鋭的というわけでもないのだけど、私的なパフォーマンスとして、こういう形態でこそ成立する領域はあると思う。即興における身体技法のストイックな探求を続けていたという風な最近の作品ではこの手の路線はあまり無かった気がするけど、ラボ20に出ていた頃のことを思い出すと、手塚さんのモチーフのひとつとして身体イメージと映像が「内容」のレベルで結びつくという路線も持続してあるということなのかな、と思った。

映像は本田一雄さんの絵を中泉さとこさんが編集したという感じらしい。面識あったけど、作品は始めて見た。

『私的解剖実験-4(振付バージョン)』は、日常的な仕草をピックアップして構成した振付作品だった。初めは女性が椅子をもってきて、客席に背を向けるようにして座るところから始まる。夜景がうかぶ大きなガラスに鏡のように姿が写ってはいる。なにげなく手を挙げたり、身をかがめたり、何の仕草か両手を脇に払ったり。そして、一連の動きが終ると、椅子の向きを横向きに変えたり、正面に変えたりして同じ動作を繰り返す。そこに、もう一人が加わって、別の一連の動作を行うと、それが会話において何気なくなされた仕草であるらしいことが浮かび上がってくる。

音楽の入り方とかが少々安易ではないかという気もする。(まあ、無音状態もけっこう長く続いていたので、同じモチーフが音楽の有無や違いによっていかに別様に見えてくるのかを観客それぞれが考えてみることもできるというものではあったけれど。)

要素の組み合わせと変換から作品を構成するという意味で、まぎれもなく「振付」作品に他ならないわけだけど、その点で、個々の要素が特定の具体的な所作の文脈を持っている必要性は逆に感じられない。

日常的にはみすごされて消え去ってゆくようなそれぞれの身振りが、切り取り方によっては興味深い造形性を持っていることを提示している、とは言えるのだろうか。

しかし、日常の仕草が、その生々しさにおいて切り取られているというよりは、それぞれの仕草がある種の型として、何度繰り返してもその同質性が変化しないものとして、取り出されてきたという感じ。なんだか日常動作のスローモーションを見ているような印象もあった。

この作品は、試みとしてはいろいろと面白い問題を含みながらも、その焦点が絞りきられていないような気もする。逆に言えば、様々な方向に展開できる可能性もあるように思う。『解剖実験』という言葉は、そろそろ言い訳にしかならなくなるだろう。実験から、作品としての完成へと向かって欲しい。

トヨタ(コレオグラフィーアワード)は見に行かないんですか?と複数の人に聞かれて、「一度も見に行ったことないんですよね」、と答えて驚かれ笑われるというような日だった。

その後のパーティーでは、いろいろ面白い話があった。