ジャンヌ・バリバールの朗読会

昨日はジャンヌ・バリバールの朗読会を見に行った。
http://www.ifjtokyo.or.jp/culture/conference_j.html
日本語とフランス語を平行して、二人の女優が立ったまま身振りも交えて、活人画を描写した風なテクストを読み上げてゆくパフォーマンス。日本語とフランス語の響き方の違い、それは、日本とフランスの演劇伝統の違いでもあるのだけど、について考えさせられた。何を考えたのか、今詳細に書いている余裕がないのだけど、日本語は平板になってしまうのは、発音のシステムにも関係することであるに違いない。講談とかの伝統的な話芸のテクニックが現代演劇に生かされなかった理由について誰かきちんと論じてくれてるのだろうか。
あと、脚韻なんかが現れるときの、バリバールの抑揚の付け方は、朗誦術を踏まえているんだろうな。日本語では韻文の定型が音数律へと向かって、韻を踏むという方向に向かわなかったのも、音韻的な特徴の問題なんだろうと思う。
翻訳は関口涼子。悪い翻訳では決してないと思うけれど、パフォーマンスにしてみると、決定的に翻訳できていないものが浮かび上がってくる。
質問をしたのだけど、山崎さんの名前を忘れてしまって冷や汗。お互いの言葉の響きをどう感じたか、という趣旨の質問をしたかったのだけど、翻訳の壁もあって、うまく伝わらなかった様子。互いの言語を言語としては意識してなかったみたいです。