マトリックスとボナール色

マトリックス』テレビでやっていたので見た。思っていた以上に中身の薄い映画だったので驚く。キスで復活って・・・・。

一番印象深かったのは、予言者の部屋の色彩設計ですね。あそこの演出は、日常性が逆に異様なものとして際立ってくる感じを上手く出していると思う。訓練中に出てくるモブシーンで服をモノクロにそろえた手間とかがあそこで報われるわけね。

見終わったあと、ああ、あの色調とか雰囲気は「ボナール色」だと思う。ピエール・ボナールの描く親密な情景の背後には、マトリックスが描くような現実の裏側の異様さみたいなものが犇いているんだと思って見てみるのも、案外的外れではないような気もしてみたり。

私は、ボナールのことを知らないままに大岡信の詩にある「ボナール色」という言葉と出会って、いったいどんな色をボナール色と呼んでいたのかなあとずっと思っていたんですね。

それで、ボナールの作品と出会うたびに、ボナール色ボナール色とつぶやきながら見ていて、そのために作品の印象がなにか体感のレベルで刻まれていたりするというわけでした。

ボナール色という言葉は、詩集『悲歌と祝祷』所収の「光の孤」という作品に出てきます。私は思潮社現代詩文庫『新選大岡信詩集』で読みました(吉田健一によるこの作品への評も収録されている)。
新選大岡信詩集 (1978年) (新選現代詩文庫〈108〉)

「光の孤」の冒頭の一連を引用

玉津島磯の浦回(うらみ)の
まさごにも
アセビにも負けず映(にほ)うたであろう
いにしえの妹(いも)があそんだその磯の
ボナール色の残照を浴び
浮桟橋がにぎやかに話しかけるが
空を黙読している船は動じない

冒頭一連が、柿本人麿をふまえた*1、57調的擬古的な調子から一挙にモダンな感じへと転回するところにボナール色が出てきて、とても印象的。

「ボナール色の残照を浴び」は、まだ77で、続く後半も音数的には全て5と7に分節できるのだけれど、前半の韻律感とは別の直線的なスピードがあって、57調を感じさせないというところも見事。

で、「残照を浴びる」という言葉が、ボナール色へと照り映えて、ボナールを見たことが無かった私にもその名状しがたい色調が黄昏のたゆたう微妙な気配のように感じられたということなのかもしれません。

ぼやっと内側から滲みでてくるような独特の色合い。

ボナール★プリハードによる世界の名画 オンライン画廊【オリーブ】
Pierre Bonnard Online

*1:そのことは、末尾にまるごと一首引用されて明示されている