ナデガタの美術館開放

Nadegata Insatnt Party(中崎透+山城大督+野田智子)*1による“Closing Museum,Opening Party"で上演された練馬美術館での市民劇「ひらいて とじて その手を上に」を見てきた。
Closing Museum,Opening Party@練馬区美術館 : Nadegata Instant Party

当日の様子がなんとなく写真で紹介されている。
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/kyouikuhukyu/houkoku/nadegata.html

台本も公開されていて、ざっと見たところ上演されたのはほとんどこれと同じ台本だったと思う。
http://cmop.nadegatainstantparty.org/index.php?/project/tozitehirayitesonowonishinario/

これを書いているのは4月18日で、約一ヶ月感想がかけないままだったことになる。いろんな要因があるけど、ひとつは当日パンフレットに小森真樹*2さんが寄せていた「Nadegata Insatnt Partyの挑戦は、一見ちょっととぼけた感じがする。」という(これはタイトルなのか)一文から始まる文章がみごとに作品の本質を語っていたので、とりたててそこに付け加えることもないなと思ったからだった。

一部引用したい。

小森さんは、ナデガタ(頭文字を略してNIP)の活動を理解するキーワードとして「アイロニー」という言葉を挙げた上で、こう続ける。

彼らが送るメッセージの裏側にある意図をも同時に読み込むことが、多層的な理解のために必要となる。一口に言えば、美術の構造的な枠組みの刷新である。この次元では、地域コミュニティを巻き込む「月並みなイベント」も、シナリオにあるような高級文化趣味、経済至上主義や美術館というモダンアートの装置への恨み文句も、パロディックなメッセージとして読み替えられる。コミュニティアートという形式やハイアートへの批判が陳腐化してしまった今、彼らは一見すると単なる「陳腐」と「空虚」を用いて、真っ向からそれに立ち向かっている。

これはまさしくその通りだなと思った。

物語の設定として「美術館開放祭り」の日に練馬美術館が封鎖されるというお話になっているのだけど、美術館の入り口前では、実際に小学校のテントなんかを並べて*3、模擬店みたいなものが出ていて、野外劇が行われる前にフリーマーケットだとか朗読読み聞かせのお店だとか、開放祭りが催されていたりした。そういう、地域を巻き込んだ月並みなアートイベントのパロディみたいなことを実地に行っている中での、野外劇だった。何重にも、現実と虚構の階層が重ねられていて、それ自体、アイロニカルでありながら、虚構的な仕掛けの中に観客を巻き込む仕掛けになってもいる。

たとえば、モダンアートの装置へのうらみ文句とかハイアートへの批判は、次のようにパロディ化される。台本から引用。

* シーン3:美術館封鎖!!
(依田と茶柱が仕切る中、開放祭りも活気が出てくる。)

ガラガラガラガラ===ガシャン

(美術館の正門が祭り会場を遮るように半分くらい閉まる。)
<悪役登場的な曲in>
学芸員秋山、ミス西山、黒服三人、階段上in)
秋山  「そこまでだー!!」
カナヅチ「おいおい、一体なんだってんだ。」
(三人の黒服がおもむろにバリケードを組み始める。)
秋山  「はい!中止中止!美術館開放祭りは今を持って中止です!!」
プリンス「勝手なこと言い出しやがって、おまえは一体誰なんだ?!」
茶柱  「最近うちにやってきた学芸員の秋山さんです。」
秋山  「そこ!!間違っていないが言葉が足りないぞ!ミス西山!!(パチン)」
ミス西山「先週より、ヘッドハンティングされて超大手美術館より練馬区美術館を立て直すべくやってきた切れ者学芸員の秋山さんです。」
秋山  「そう、それだ!(パチン)」
黒服三人「ヘッドハンティングされて超大手美術館からきた切れ者です。」
秋山  「よし、もっと言ってやれ!(パチン)」
黒服三人「ヘッドハンティングで超大手で切れ者です!」
秋山  「まだまだ!!(パチン)」
黒服三人「ヘッドで超でキレキレです!!」
秋山  「そうだ!私はヘッドで超キレキレだ!!」
秋山一派「うおおおおおおおおおおーーーー!!」
(一同なぜか拍手、結構盛り上がる。)
秋山  「オッホン、ということで、なんなんですかね、この有様は、ここは神聖な文化の殿堂である美術館ですよ!」
茶柱  「秋山さんは来たばかりだからまだ分からないかもしれませんが、ここはみんなに開かれた美術館なんですよ。」
秋山  「は?美術とは元来、選ばれ鍛え抜かれた知性や眼によって育まれてきた。センスと教養を持ち合わせた紳士淑女によって未来は切り開かれて行くものなのです。残念ながら、選ばれなかった皆様にはお引き取り願いましょう。」
黒服三人「さあ、帰って帰って、お引き取りください!!」
カナヅチ「ふざけてんじゃねえぞバカやろお!」
プリンス「そうだ!うちのジュニアのせっかくの宣誓が台無しじゃねえか!!」
(山条in)
山条  「茶柱さん、これは一体何が起こってるんですか?」
茶柱  「ああ、山条さん、大変なんです、秋山さんが、秋山さんが。」
ミス西山「あらあら山条さん、今頃やってきたんですか?」
山条  「ちょっと、秋山さんも西山さんもふざけるのはいいかげんにしてくださいよ!」
秋山  「そうそう、まだ山条くんたちには言ってなかったけど、この美術館、大企業に買収されて来月から別の美術館になることになったから。」
山条茶柱「えええええーーーー!!」
依田  「わわわわ、わ、私の、まも、守ってきた美術館が。。。。」
秋山  「いいか、私は本当の意味でこの美術館を立て直すためにやってきた。こんな遊びみたいなお祭りゴッコをしているヒマはないんだよ!!いいですか、こんな知性の欠片もないママゴトみたいな行為こそが奥深い芸術の門を閉ざさせているのです!お分かりかな?!」

こういうの、当日すこし稽古しただけの人たちが、台本片手に素人芝居していくのだった。
次のようなくだりにも、単純にはいかないパロディの積み重ねがある。

麗子  「ちょっと待って、じゃあ、ここの美術館はどこの会社のものになるの?!」
小中  「はーっはっはっはっは!聞いて驚けよ!」
オレンジ「あの有名企業だぞ!!」
セブン 「行政なんかより、よっぽど文化を大事にしてくれるぞ!!」
秋山  「ズバリ、MIKE(マイキ)だ!」
ジュニア「わあ、あのスポーツシューズの?!」
秋山  「違う!MIKE(マイキ)だ!」
太郎  「あの勝利の女神を由来にしてるという!」
秋山  「だから違う!MIKE(マイキ)だ!!」
治朗  「最近、公園も買ったりしてるという噂の、、!!」
秋山  「違う!違う!違う!まみむめものMIKE(マイキ)だ!!!」
一同  「?」 
(ひそひそ声で、「知らないよね?」「知らない」など皆で話す。)
ミス西山「これだから常識に欠けた人たちは嫌ね。」
小中  「説明しよう!マイキとは『My 木』に由来する、一人一人自分たちの木を植樹して育てることから始まった会社である!」
オレンジ「アメリカ西海岸でエコブームに乗ってセレブ達に大ウケ!!」
セブン 「この春、日本初上陸のエコでセレブな大企業だ!!!」

実際、宮下公園のナイキパーク化という問題が起きているなかで、こういうパロディをしてしまう*4

そして最後には、「美術館開放」を叫びながら美術館になだれこむデモ隊のエキストラの役回りを、無料で見に来た観客が演じさせられてしまうのだった。巧みなナデガタの演出によって、ほとんどの観客は「スローモーション」で美術館になだれ込むという演技を嬉々として演じてしまい、「美術館開放!」のシュプレヒコールを無邪気に叫んでしまった。煽りを受けて、僕も、美術館の受付スタッフの女性たちがちょっと引き気味に美術館開放デモの様子を見ているのを横目でみながら、シュプレヒコールを叫ぶのを楽しんでしまっていた。こういう煽りって、どこかちょっと危険っぽいよなとか思いながら、ある種、群集心理みたいなものにのまれることに固有の喜びってものがあるのだろうなと思ったりした。キャストと観客がなだれ込んだ美術館のロビーでは、そこにあるグランドピアノで、内省的な風な静かな曲が、その興奮を異化するみたいに奏でられていた。

あと、MIKI側に地元住民が勝ったときのシーンもとてもアイロニカルだった。

*シーン7:美術館開放/フィナーレ
プリンス「勝ったぞ!俺たち、勝ったんだ!!」
秋山  「くそおー。。こんなはずじゃ。」
カナヅチ「勝った、勝ったぞー!!」
カンナ 「勝ったときの、オリンピックのやつがやりたい!!」
麗子  「何かしら、メダル?」
カンナ 「ううん、違うの、あれ、君が代。」
山条  「はあ?君が代?!」
郷田  「しょうがないわね、私のオハコじゃないの!」
山条  「やるんですか?!」
郷田  「君が代ダンス!ミュージックスタート!!」
君が代ナデガタバージョンin>

ダンスチューンにアレンジされた君が代にあわせて、観客も一緒にダンスを踊ってしまうのだった。単純ながら楽しい振りでみんなで手をあげてくるくる回ってた。君が代で。
そういう脱力系なポップさが、右も左もパロディ化して、パーティ的に楽しく盛り上がりながら、どこかできっと、問題を問題として堅苦しく固定化してしまいがちなありきたりの対立という図式とは別の角度から問題を考えられるような視点みたいなものにつながる何かになっていた、のだろうか?
なんというか、君が代だって、ダンスしちゃったら楽しいんだっていうのは、忌野清志郎が「君が代」をリリースできなかったことなんかも想起させながら、とぼけた仕方で問題に向ける視点を複雑化しているみたいでもあるし、あんまり複雑に考えたって仕方ないよっていっているみたいでもあるし、盲点なんていくらでもあるしオルタナティブはいくらだってあるしって感じで、可能性を単純に広げてくれるようなしかたで問題設定の場面をごっそり別の地平に映しちゃったって感じでもある。なにより、あっけらかんと楽しめてしまったってことと、それをあとからいくらでも考え直せるチャンスが開かれていた、なんとなく、え、それでいいの?みたいな違和の種みたいなものがきっちりきっちり埋め込まれたパロディになってた気がする。

小森さんの文章に戻ると、こんなことを書いていた。

NIPはアイロニーと批評性に充ち満ちている。しかし、冷静沈着、冷め切ったニヒリストや熱く煮えたぎった革命家のそれではない。ユーモアとお祭り感(パーティ!)に充たされた「トンがった丸」としてのアイロニーだ。(略)この一見無害な「トンがった丸」は、優しく滑らかに、人々と手を取り合いながら私たちの間に染み渡っていく。

この文章は、当日の舞台裏でいい加減に書かれたって断り書きがついていて、そんなライブ感の筆の走りを感じさせる結句ではあると思う。アイロニーにもいろいろな種類があって、アイロニカルであることをいろいろな方向に展開できるのだろうし、拡散もできるのだろうし、メタの累乗みたいな仕方でつまらなく自閉化することもできるのだろう。その間の区別をきちんとつけるのが大事なのだろうけど、繊細でしなやかで、シェア可能なアイロニーというものもあるのだな、と、ナデガタの試みに初めて触れて、思ったりした。

*1:ナデガタについては、曳船ロビー周辺で噂を聞いて、次のシンポジウムで話を聞いた。http://jidokan.net/news/2010/0131-566/いろんな面で、このシンポジウムが練馬美術館でのイベントにつながっていたみたいだ。シンポジウムについては、次のようにツイッターでつぶやいてた。子ども×アートで地域を開く - Togetter

*2:小森さんは「現代美術の大衆化とサブカルチャー誌による「アート」の普及」なんて研究をしているあたり報告要旨【小森真樹】 : GrASP! HP批評的な視点の手堅さを感じる。プロフィール小森真樹 - 東京大学大学院 矢口祐人研究室、学部生のときのこんな発表も阿部嘉昭ファンサイト: 「キモポップ」のすすめ(小森真樹)

*3:当日強風であおられたテントが宙に舞いかけるというアクシデントがあって、野外劇の上演が一時中断されていたりもした。観客も含めて、あわてた人々がテントをたたんで、一時中断されていたお芝居が再開された。そのことと、なんとなく批評的に意味づけてみたいと思ったのだけど、結局上手く考えることができないままになってしまった。

*4:なんとなく、この感想を書きにくいなと思っていた理由のもうひとつは、宮下公園のことが気になっていて、しかし、結局一度も宮下公園に足を運ばなかったことになにか自分のなかでひっかかりを感じているからだったのかもしれない。非実在青少年のネタなんかもパロディとしては傑作だった