作中現在がずれていく−3年遅れの「笹の葉ラプソディ」雑感+7

なんかこのエントリー(↓)ひとつでプロモーションとしては大成功だったかと思えてくるハルヒ第二期スタートの今日ですが*1

個人的にはエヴァンゲリオンは最後にハマったアニメで非常に好きだったのですが、もうああいうアニメは見られないんじゃないかと思っていたのですが、いやいやいやいやいや「涼宮ハルヒの憂鬱」って面白いですね!

・たまたま埼玉県民
・たまたまTumblrダッシュボード
・たまたま深夜に帰宅
・たまたまTwitter

本当に今回はいろいろな「たまたま」が重なって置きた偶然なのですが、これは長門風に言うと‥‥‥‥‥難しいこと言えない!
「涼宮ハルヒの憂鬱」を初めて見たハルヒ初心者の感想(笹の葉ラプソディ)

ハルヒが最初からいかに周到にWebでのプロモーションを仕掛けていたか↓
涼宮ハルヒが起こしたYouTubeの憂鬱、ネットマーケティングの大成功例。:[mi]みたいもん!
今回もその流れで↓
涼宮ハルヒ新作1話で見えた2期でも変わらないマーケティング戦略:[mi]みたいもん!

私も、Tumblr流れで「笹の葉ラプソディー」放映情報に触れて、さっそく見ました。埼玉県民。


さて、ハルヒシリーズのアニメを途中からみてもなんとなく作品世界に入れるのは、「笹の葉ラプソディ」がキーになるエピソードだってこともあるだろうけど*2、作者がSFとかライトノベルとかアニメとかの物語類型、キャラクター類型を周到に総合して(カットアップ的って言うかリミックス的っていうか)配置しているからなわけで。
http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20090522mog00m200003000c.html

そのあたりの話は、語り手であるキョン異世界人説が解釈として成り立つ理由とも関わってくる。東浩紀の「データベース消費」とかなんとか言っている評論より、谷川流の創作の方が、はフィクション消費の現状を作中に取り込んで描きながら、その先まで考えているように思う*3

キョン=読み手

と仮定した場合、

キョン異世界人を代入して、

異世界=読み手の世界、すなわち私たちが今いる、本の(あるいはアニメの)外の世界、すなわち現実世界そのものである。
2006-12-25

*4

ハルヒ〜』を『ビューティフルドリーマー』と対比させたブログをよく見かけるが、私もその説には賛成。
なぜなら、「異世界=現実世界」であり、「キョンたちの認識世界=キョンあるいはハルヒの夢」と考えられるからである。
『涼宮ハルヒの暴走』谷川流 〜「キョン=異世界人」説に賛成〜 ( 読書 ) - モグラのあくび - Yahoo!ブログ

谷川流はフィクションについてのフィクションとして「ハルヒ」シリーズを自覚的に創作しているはず。フィクションの魅力をフィクションから抽出して、距離を置いてフィクションの魅力と戯れているみたいに見える*5



さて、アニメとしては三年ぶりの続き、なんとなく違和感なく見てしまいましたが、第一期でも笹の葉は背景に描き込まれていたし、時間軸的には、第一期でその先まで描いていて、第一期中の「ミステリックサイン」でもキョンが「笹の葉ラプソディ」に言及する台詞があらかじめ入っていたりしたり*6、そのへんは一期から計算済みだったってことですよね。ちなみに、「笹の葉ラプソディ」は実写版もあったなあ*7。朝刊の広告とか*8。あれからここまで待たされるとは(しみじみ)。

3年前のネタやりたくて3年放置したのかね
3年前のネタやりたくて3年放置したのかね - みたいもん!クリッパー

そこで思うのは、この調子でアニメ化も遅れて原作の続きも遅れて完結が先延ばしになっていくと、いつのまにかハルヒの作品世界は近過去の物語になっていくよなあということ。
作中に出てくるPCの描写とか、Windowsのどのヴァージョンだよ、古っ、みたいな話になる。

たとえば、『春季限定いちごタルト事件』のマンガ版(2009年)

で、主人公のケータイが少し古くて「MDK形式の動画」が見られなかったという場面が出てくるのだけど、小説版(2004年)では主人公のケータイがシンプルすぎて「JPEG画像が見られない」ということになっている。

この間で、「携帯電話で写真を撮るのが当たり前」から、「携帯電話で動画を撮るのが当たり前」へと、リアリティがすっかり変わってしまったというわけだ。

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

なんてことを思い出したのだけど、そういえば、僕がハルヒシリーズに興味を持ったのは、ユリイカ米澤穂信特集で、米澤穂信の学園ものとハルヒシリーズを比較している記事を読んだからだった。
ユリイカの米澤穂信特集を読んだ




追記)
笹の葉ラプソディの演出を細かく分析している記事。演出意図をシリーズ展開を踏まえて分析していて素晴らしい(5月24日追加)。
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20090523/1243087165
あと、注に2007年の情報を追加(5月23日)。



ハルヒ関連リンク集
↓網羅的。頭下がりますね。全部は見てないけど、このリンクから記事補完しました。多謝。
テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」適当なまとめ:web上における批評・論考のリスト - MilkyHorse.comの馬法学研究会
↓焦点しぼってる。
「涼宮ハルヒの憂鬱」関連リンク集 : 小心者の杖日記

ハルヒエヴァ、メタラノベ性とオタク

ハルヒキョンがともに有しているのは「願望と虚構性への認識」という「オタク的葛藤・鬱屈」である。これらのオタク性は、「涼宮ハルヒの憂鬱」において、一種のドラマツルギー(作劇手法)として機能している。
http://d.hatena.ne.jp/loliwo/20090522/1243012227

この指摘は、結構重要かも。

メタフィクションゲーム的リアリズム
上の話を、東浩紀の次の話も踏まえて、考えてみたい。

僕のオタク体験の出発点は、押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』にあります。13歳で出会ったこの作品が忘れられなくて、僕はいままでオタクをやっているようなものです。

さて、『うる星2』の基本的なテーマは、思春期特有の世界からの疎外感というか解離感(すべては虚構かも?といった感覚)と、繰り返される時間と流れていく時間の相克でした。僕たちは学校というテーマパークのなかに閉じこめられているが、その外に出るためには、すなわち大人になるにはどうしたらいいだろうか、というわけですね。それで押井は、「外になんて出れない」と答えたわけです。

これはごく一般的なテーマですが、押井の独創はそこに、大塚英志がのち「まんが・アニメ的リアリズム」と呼ぶようなサブカルチャー的なリアリティを絡めたところにあります。その結果、押井のテーマは、僕たちは成長を拒否するキャラクターのテーマパークに閉じこめられているが、その外に出るには、すなわち現実に出会うにはどうしたらいいだろうか、というかたちへと変形されることになりました。実際、この問いは『紅い眼鏡』だか『トーキング・ヘッド』だかで明示的に語られていたと記憶しています。

僕の出発点はそのような作品にあったので、僕はオタクたちの作品を見るとき、つねに上記のテーマを念頭に置いてきました。キャラクターの世界から出発して現実に到達するにはどうすればよいのか、それが僕の作品評価の大きな基準だったわけです。この点で、実は僕には『エヴァンゲリオン』も『AIR』も『うる星2』の後継者のように見えていました。メタフィクションが好きなのもそのせいです。

それで、なにが言いたいのかというと、先日『時をかける少女』を見、今回『ひぐらしのなく頃に』の完結も見て、この両作品においては、同じ『うる星2』の問題意識が継承されながらも、その処理の方法が大きく変わりつつあるという感触を抱いたのです。

では、どう変わったのか。印象論で言うならば、閉域(繰り返される日常=悪夢)からの脱出方法が、メタフィクション的にメタレベルに向かうものではなくて、なんというか、ゲーム世界からプレイヤー世界に移行するような感じへと変わっている。「どんな選択をしても等価だ、世界は無数に並列しているんだ」というシニシズムを突破するとき、『うる星2』が最終審級を探す旅に向かうとすれば、『時をかける少女』や『ひぐらしのなく頃に』では、最初から「この世界の審級」と「プレイヤーの審級」が区別されていて、だから虚構(閉域)も現実(外部)も同時に肯定されるような、そんな世界観が導入されている。さらに言いかえれば、現実と虚構の関係を理解する枠組みとして、『うる星2』においては入れ子構造が採られていたけれど、『時をかける少女』や『ひぐらしのなく頃に』では、キャラクターレベルとプレイオヤーレベルの二層構造が採用されている、とも整理できる。その二層構造は、SFでは、P・K・ディックや神林長平の作品に先駆的に現れていたものですね。
hirokiazuma.com

(追記)
あと、今年はハルヒの新刊も出るらしいので、それまでにラノベの状況を踏まえておこうかなどと。
http://d.hatena.ne.jp/ub7637/20090519/p1(5月28日)
ミステリとライトノベルの相性について - 三軒茶屋 別館(5月29日)

*1:今回は1期補完で2期は別にある説を見たので、ここは保留。参照:よし、ただいま帰還。 いくつか情報をゲットしたのでまとめていく。... - みたいもん!クリッパー

*2:いろんな意味で作品の結び目になる時点と場所に最初にタイムトラベルする話なので。参照:otsune: saitamanodoruji: ichimonji: ... - みたいもん!クリッパー

*3:東浩紀がメタライトノベルって言ってた。 http://ga3.gagaga-lululu.jp/talk/2006/06/0202.html あと、東浩紀の評論との関係については、もうちょっと慎重な言い方すべきかなと思い返したので、保留。

*4:画像は、ハルヒシリーズでハルヒが最初に登場する問題のシーンを水木調にパロディしているのですけど。http://gkojaxlabo.tumblr.com/post/111091992

*5:原作も「陰謀」あたりは中だるみ感ありますけども。

*6:5月28日深夜の「ミステリックサイン」の放送を録画してみましたが、何の違和感もない続き具合。はじめから計算していたわけですね。

*7:参照:ƒy[ƒW‚ª‚ ‚è‚Ü‚¹‚ñ 【再放送記念うp】涼宮ハルヒの退屈  笹の葉ラプソディこの実写ビデオだと2007年現在ハルヒ中学生という設定で作中現在は2010年ということになるな。

*8:参照:「涼宮ハルヒの憂鬱」アニメ第二期決定、朝日新聞に全面広告 : 小心者の杖日記 ハルヒ×朝日全面広告に見る、サブカルがメインカルチャーに脱皮する2つの条件 - タムケンブログ